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合格祈願 神社紹介(関西)  中学受験わかばナビ

 

合格祈願 神社紹介(関西)


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 京都

北野天満宮 (京都市上京区)
住所・ 電話

京都府京都市上京区馬喰町

TEL075-461-0005

FAX075-461-6556

HP  http://www.kitanotenmangu.or.jp/
アクセス

京福電車白梅町駅より徒歩5分

JR京都駅より市バス

JR・地下鉄二条駅より市バス

JR円町駅より市バス

地下鉄今出川駅より市バス

京阪出町柳駅より市   京阪三条駅より市バス

阪急四条大宮駅より市バス

バスはいずれも「北野天満宮前」バス停下車

詳しくは http://www.kitanotenmangu.or.jp/access/index.html

お守り

天神矢、絵馬、多種類の合格祈願守りあり

祈祷

祈祷料 5,000円 (本殿にあがられる方) 祈祷料 4,000円 (本殿にあがられない方) 

共に祈祷受付日より3月末日まで毎朝合格祈願祈祷あり。

御祭神 菅原道真公
紹介

北野天満宮は、菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、国を鎮め守る神として平安時代中期多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。

北野の天神さん(てんじんさん)として親しまれ、学問の神さまとしても知られ、受験生などの祈願、絵馬の奉納が絶えません。福岡の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心です。 本殿は国宝にも指定されています。

京都観光や修学旅行の学生さんでいつもにぎわいを見せています。

 

 

 

文子天満宮(あやこてんまんぐう) (京都府下京区)
住所・ 電話

〒600−8184
京都市下京区間之町通り花屋町下る天神町400

TEL 075-361-0996
FAX 075-361-1003

HP  http://www7a.biglobe.ne.jp/~ayako/
アクセス

JR京都駅から徒歩10分 詳しくは http://www7a.biglobe.ne.jp/~ayako/basho.html

お守り

神職自ら心をこめて手作りしたお守りあり。その他合格・学業守りもあり

祈祷

初穂料5000円

御祭神 菅原道真公
紹介

文子天満宮は、東本願寺の正門から数珠屋町を東へ徒歩5分ほどのところ、東本願寺の飛び地庭園「渉成園」(枳殻邸)の北にある。菅原道真の乳母だった多治比文子の住居跡に建立された天満宮で、北野天満宮の前身という。
  菅原道真(845〜903)は、延喜元年(901)1月、藤原時平とともに従二位に叙せられたが、時平らの策略により太宰府(福岡県)に左遷させられた。大宰府ではひたすら謹慎生活を送っていたが、京都で待っていた夫人が亡くなる知らせが届くと、後を追うように延喜3年(903)2月25日、59歳失意のうちに太宰府の地で没している。
  その後天候不順や政治の混乱が続き、人々はそれらの災いを道真公の怨霊のだと恐れた。そして約40年がたったある日、道真の乳母を務めた(巫女や童女説もある)多治比文子(たじひのあやこ)の夢枕に「われを北野の右近の馬場に祀れ」との道真のお告げがあった。しかし、文子の家は貧しく、とりあえず西京七条二坊の自宅の庭に祠を建て祀った。その後、近江比良宮禰宜神(みわ)良種の子の太郎丸にも「北野辺に鎮座したい」とのお告げがあり、太郎丸と文子は北野朝日寺の僧・最鎮と相談して祠を設けたのが北野天満宮の始まり、道真公の御霊が北野に移された後の文子の住居跡は文子天満宮となり、現在に至っている。

 

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車折神社(くるまざきじんじゃ) (京都市右京区)
住所・ 電話

〒616−8343
京都市右京区嵯峨朝日町23
TEL 075−861−0039

HP  http://www.kurumazakijinja.or.jp/
アクセス

嵐電(京福電車)・車折神社駅 詳しくは http://www.kurumazakijinja.or.jp/koutuuannai-Kb.html

お守り

学業守り700円より

祈祷

一年間遠隔(通信)祈祷2000円より 詳しくはこちら http://www.kurumazakijinja.or.jp/sikikai3.html

御祭神 清原頼業公(きよはら・よりなり)
紹介

ご祭神・清原頼業公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中には三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。
頼業公は大外記の職を24年間も任め、和漢の学識と実務の手腕は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり、兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた程です。
頼業公は平安時代末期の1189年(文治5年)に逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。やがて頼業公の法名「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。この寺は室町時代に至り、足利尊氏によって嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりました。
また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ばれていましたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたので、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、当社を「車折神社」と称することになりました

 

 

 

野宮神社 (京都府右京区)
住所・ 電話

〒616-8393京都市右京区嵯峨野宮町1
TEL.075-871-1972

HP  http://www.nonomiya.com/
アクセス

嵐山駅より徒歩 詳しくは http://www.nonomiya.com/map.html

お守り

郵送で購入可能 詳しくは http://www.nonomiya.com/omamori.html

祈祷

諸祈祷3,000円より

御祭神 野宮大神(天照皇大神)
紹介

野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
  嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
  野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。
  そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。

黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。

 

 

 

金戒紫雲山・くろ谷 金戒光明寺 (京都府左京区)
住所・ 電話

〒606-8331 京都市左京区黒谷町121 TEL:075-771-2204

HP  http://www.kurodani.jp/about/index.html
アクセス

詳しくは http://www.kurodani.jp/info/access.html

お守り

詳しくは http://www.kurodani.jp/pray/index.html

祈祷

合格祈願

文殊菩薩御宝前での祈願を毎日承り中。

詳しくは http://www.kurodani.jp/pray/index.html

御祭神 本尊/阿弥陀如来
紹介

浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院 のはじまり。
西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を眺み山門、阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。
また、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった。

 

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長岡天満宮 (京都府長岡京市)
住所・ 電話

京都府長岡京市天神2丁目15−13

TEL 075-951-1025

HP  http://www.nagaokatenmangu.or.jp/
アクセス

JR東海道線 長岡京駅(快速停車)西口より徒歩20分

阪急京都線 長岡天神駅(すべての特急停車)西口より徒歩10分

 詳しくは http://www.nagaokatenmangu.or.jp/access.html

お守り

合格祈願セット 様々なお守りもあり

祈祷

詳しくはお問い合わせください http://www.nagaokatenmangu.or.jp/kitou.html

御祭神 菅原道真公
紹介

当長岡天満宮の御鎮座地長岡は、菅原道真公が御生前に在原業平らと共に、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しまれた縁深いところであります。 公が太宰府へ左遷された時、この地にお立ち寄りになり「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しまれた縁故によって、公御自作の木像をお祀りしたのが当神社の創立であります。

 

 

 

錦天満宮 (京都市中京区)
住所・ 電話

京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537

電話 075−231−5732

HP  なし
アクセス

阪急 「四条河原町」徒歩7分

お守り

お守りは必ず念を込めてから渡してくれる   黒丑の土鈴1000円

祈祷

詳しくは直接お問い合わせください

御祭神 菅原道真公
紹介

学問の神様・菅原道真を祀る神社で“錦の天神さん”の愛称が。最初は道真の父・参議是善の邸宅に祀られていたが、のちに源融の旧邸・六条河原院に移った。桃山時代になって、豊臣秀吉の都市計画によってこの地に移り、錦市場を中心に厚く信仰されている。京都市のど真ん中にあり、京都市の繁華街にあたる新京極・寺町京極・錦市場をつなぐ神社ともいえる。経済流通 が活発な近代的繁華街に、伝統的・精神文化的な神社が調和共存する好例として、全国にその名を知られている

 

 

 

八坂神社 (京都市東山区)
住所・ 電話

〒605-0073 京都市東山区祇園町北側625番地

TEL:075-561-6155 

FAX:075-531-1126


HP  http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/
アクセス

京阪祇園四条駅より徒歩約5分 

阪急河原町駅より徒歩約8分

お守り

直接お問い合わせください

祈祷

参拝日時が決定されましたら、お問い合わせ下さい

御祭神

スサノヲノミコト(素戔嗚尊)、クシイナダヒメノミコト(櫛稲田姫命)、ヤハシラノミコガミ(八柱 御子神)

紹介

平安京建都(794)以前より八坂神社のある東山一帯はひらけた場所で、渡来人であった八坂造(やさかのみやつこ)一族が住したところであった。「八坂の塔」で有名な法観寺も平安京以前の創建で、八坂造の氏寺ではなかったかともいわれている。

八坂神社一帯には広大な寺域を持ち、「定額寺」という高い格式を誇った観慶寺があり、別名を祇園寺といった。その寺域内にあった「天神堂」が八坂神社の前身である。観慶寺はどういう理由かわからないが衰退し、天神堂が多くの崇敬を集めるようになり発展し、祇園社(八坂神社)となった。

 

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 大阪
服部天神宮 (大阪府豊中市)
住所・ 電話

〒561-0851
豊中市服部元町1−2−17
電話:06-6862-5022
FAX:06-6862-4241

HP  http://www.apsara.ne.jp/hattori-tenjingu/indexj.html
アクセス

阪急電車服部駅下車東すぐ

お守り

直接お問い合わせください

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神 菅原道真公
紹介

菅公が当社の「小彦名命」を尊崇し、持病の脚気が治ったことから「脚気天神、「足の神様」として広く信仰があります。菅公没後、各地に天神信仰が起こり当社も堂宇を建立し、合祀して天神宮とした。

 

 

 

露天神社 (大阪市北区)
住所・ 電話

大阪府大阪市北区曽根崎2丁目5番4号

電話06-6311-0895

HP  http://www.tuyutenjin.com/ 
アクセス

大阪市営地下鉄谷町線 東梅田駅

大阪市営地下鉄御堂筋線・阪急電鉄・阪神電鉄 梅田駅

大阪市営地下鉄四ツ橋線 西梅田駅

JR 大阪駅  JR 東西線 北新地駅   より徒歩5〜10分  

詳しくは http://www.tuyutenjin.com/access.html   

お守り

直接お問い合わせください。

祈祷

直接お問い合わせください。

御祭神 少彦名命、太穴牟遅大神、菅原道真、天照皇大神、豊受姫大神
紹介

創建以来一千三百年の歴史を持つ古社で、「難波八十島祭(なにわやそしままつり)」旧跡の一社である。曽根崎・梅田地域の総鎮守として現在も崇敬を集める。

社伝によると、当社は上古、大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り御鎮座されたと伝えられており、「難波八十島祭」(注1)旧跡の一社である。曽根崎(古くは曽根洲と呼ばれた)の地名は、この御神名によるとされている。
創建年代は定かではないが、「難波八十島祭」が文徳天皇の嘉祥3年(850年)にまで遡ることができ、6世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察できる。なお、承徳元年(1097年)に描かれた「浪華の古図」には、当社の所在が記されている。
南北朝期には「曽根洲」も漸次拡大し、地続きの「曽根崎」となった。この頃、北渡辺国分寺の住人・渡辺十郎源契(河原左大臣源融公十一世渡辺二郎源省の末)や渡辺二郎左衛門源薫ら一族が当地に移住し、田畑を拓き農事を始め、当社を鎮守の神とし曽根崎村を起こした。
以後、明治7年(1894年)の初代大阪駅、明治38年の阪急電鉄梅田駅の開業などとともに地域の発展に拍車がかかり、当社も大阪「キタ」の中心、梅田・曽根崎の総鎮守として崇敬を集めるに至っている。

 

 

 

大阪天満宮 (大阪市北区)
住所・ 電話

〒530-0041 大阪市北区天神橋2丁目1番8号
TEL : 06-6353-0025

HP  http://www.tenjinsan.com/index.html
アクセス

地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」下車

JR東西線「大阪天満宮駅」下車  詳しくはこちら http://www.tenjinsan.com/koutu.html

お守り

直接お問い合わせください

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神 菅原道真公
紹介

天満の天神さん」と呼ばれる。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。

毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。
901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。

 

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天神社 (大阪府門真市)
住所・ 電話

〒571-0052 大阪府門真市月出町22番2号TEL 06-6900-4955

HP  http://www.geocities.jp/tenjinja/
アクセス

モノレール大日下車

お守り

 直接お問い合わせください

祈祷

 直接お問い合わせください

御祭神  少彦名命(すくなひこなのみこと)
紹介

神社の創建の年代は詳かではありませんが、この地は古くは伊勢斎宮帰路の道筋に近く、その創建は相当古い時代であるとされています。主祭神は少彦名命で相殿には菅原道真公が祀られています。菅原道真公は寛永年間、永井信濃守が領 主の頃祀られたもので、学問技芸や立身出世の神様としてよく知られています。主祭神の少彦名命は意外 と知られていません。この神様は『古事記』によると大国主神(おおくにぬしのかみ。出雲大社の神様)と協力されて国土経営に 尽力されました。また、医薬医療の神、温泉の神様として名高く大阪道修町の神農祭や全国温泉街の温 泉神社に必ずお祀りされているのがこの神様です。さらにはまじないの神様とも云われ、そのまじないによ り不思議とできものが消えた等の言い伝えにより、ガン封じの神とも呼ばれています。さらに、一寸法師の原型との言い伝えがあったり雛人形の起源はこの神様であるとも伝えられたりしています。北河内地域ではここ 天神社でのみ少彦名命をお祀りしております

 

 

 

水無瀬神宮 (大阪府三島郡)
住所・ 電話

〒618−0011大阪府三島郡島本町広瀬三丁目10−24
電話:075−961−0078

HP なし
アクセス

お守り

直接お問い合わせください

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神

後鳥羽上皇(承久の変で配流)

順徳上皇 (後鳥羽上皇の第三御子・同じく承久の変で配流)
土御門上皇(後鳥羽上皇の第一御子)

紹介

御祭神後鳥羽上皇が御造営になった水無瀬離宮の跡で、往時は桜、山吹、菊の名所として知られ、上皇も屡々行幸、歌合せ、蹴鞠、狩猟、刀剣鍛作等も行われた。然るに承久の変により、後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡、土御門上皇は土佐(後に阿波)に遷御、それゞの地で崩御。後鳥羽上皇は崩御になる前、この離宮を管してひたすらその還幸の日をお待ちしていた水無瀬信成親成父子に、左右の御手掌を捺した御置文を下され、永く後生の菩提を弔うべく仰せ下されたので、この離宮跡に聖廟を建て、上皇の御影を奉安して、御慰霊申し上げた。
世に「水無瀬御影堂」と称し、明治の初年迄仏式混淆の行事が行われていたが、明治六年改めて三上皇の合祀、官幣中社に列せられ、昭和十四年官幣大社に昇格、神宮号を賜った。

 

 

 

綱敷天神社 (大阪市北区)
住所・ 電話

〒 530-0026
大阪市北区神山町9-11 綱敷天神社御本社内
電話06-6361-2887

HP  http://www.tunashiki.com/
アクセス

JR大阪駅徒歩15分
地下鉄谷町線中崎町駅徒歩10分

お守り

直接お問い合わせください

祈祷

5000円

御祭神 ・嵯峨天皇
・菅原道眞公
紹介

今から千二百年ほど昔の弘仁十三年(西暦822年)に、第五十二代天皇であらされた 嵯峨天皇(さがてんのう)が当地に御行幸あそばされ、現在の御本社の位置に仮の御殿を構え一宿された事に由来する神社です。
  嵯峨天皇崩御の後に、皇子、源融(みなもとのとおる=光源氏のモデルとも伝えられる)公が、御追悼の為、承和十年(西暦843年)、嵯峨天皇をお祀りする社殿を当地に創建し、天皇の御名をとって「神野太神宮」と称されました。
  後の延喜元年(西暦901年)に、学問の神様として慕われる「天神さま」こと菅原道眞(すがわらのみちざね)公が、無実の罪により京都より太宰府までの左遷の際に、この地で今を盛りと咲いていた紅梅に目を留められ、それをご覧になるため船の艫綱(陸と船をつなぐ綱)を円く円座状に敷いてご覧になられ一時の休息を得られました。その由縁より、「綱敷(つなしき)」の名が興りました。
  この時、菅原道眞公の従者、白太夫こと度会春彦の一族らをお側近くに召され、「この地に留まり、いつか戻るその日まで待つように」と御遺訓を残され、白江の姓を賜り、また自筆の御影とお座りになられた綱を与えられ、九州太宰府へと旅立たれました。
白江氏は、御遺訓に従い、この地に留まり、紅梅の樹下に小祠を営み、号を梅塚天満宮と称し、道眞公の御霊をお祀りしました。この梅塚が「梅田」の名の由来となったとも云われています。
  正暦四年(西暦993年)、冤罪の晴れた菅原道眞公の神霊に対し、正一位を追贈された事により、当地にも改めて社殿を建立する事となり、神野太神宮と梅塚天満宮を合祀し、「北野(喜多埜=キタの)天神社」と称されるようになりました。この「喜多埜」が「キタ」となり、現在の梅田周辺の繁華街を指す「キタ」の語源になったと伝えられています。
  中世には幾度も兵火に遭いましたが、一夜にして七本の松が生い出て、その奇瑞を以って社殿を復興されるなど、霊験あらたかなる神社として近世には大阪市中の尊崇を聚める古社として知られるようになり、明治七年に大阪駅が開業して以降、梅田キタの氏神様としてより一層の崇敬を聚めるようになりました。ただ当時の国の方針により梅塚天満宮は茶屋町に移す事となり、社名を御旅社となし、角田町に鎮座していた歯神社を管掌するようになり、現在の当神社の形となっていきます。

 

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勝尾寺 (大阪市箕面市)
住所・ 電話

大阪府箕面市勝尾寺

TEL:072-721-7010

HP  http://www.katsuo-ji-temple.or.jp/
アクセス

北大阪急行千里中央 阪急 北千里駅 阪急 箕面駅  大阪モノレール 彩都西駅から

いずれもタクシー

詳しくは http://www.katsuo-ji-temple.or.jp/v_access/index.html

お守り

直接お問い合わせください

祈祷

祈願料 : 金五千円より

御祭神 御本尊 十一面千手観音
紹介

勝尾寺は、千数百年の昔より山自体の持つ霊力によって無類の聖地として崇拝されてきた。弥勒信仰、観音信仰はもちろんの事、役行者慕う修験道、阿弥陀信仰、薬師信仰、聖天信仰行者ら、多くの人々がこの山で己の精神と対峙し、日夜修行を積んできた歴史がある。

当山仏法の祈願力には時の朝廷の権力も及ばなかった事から、王に勝つ寺「勝王寺」と清和帝が号した。依って源氏・足利氏等各時代の覇者達が当山に勝ち運を祈り、以来人生全てに「勝つ」として勝ち運信仰の歴史をたどっている。試験・病気・選挙・スポーツ・芸事・商売等あらゆる勝負の勝ち運、成功、いわゆるサクセスの願い事に勝尾寺の「勝ダルマ」を授かり己に勝って勝運をつかんだ人々の数は、計り知れない。

 

 

 

 兵庫
綱敷天満宮 (神戸市須磨区)
住所・ 電話

〒654-0053
兵庫県神戸市須磨区天神町2-1-11
電話 078-734-0640
Fax 078-734-0680

HP  http://www.tsunashikitenmangu.or.jp/
アクセス

JR神戸線「須磨駅」から徒歩10分
または山陽電鉄「須磨寺駅」から徒歩3分

お守り

学業お札・合格お札1000円  はちまき・お守り・鉛筆600円

詳しくはこちらから http://www.tsunashikitenmangu.or.jp/luckycharm.html

祈祷

予約制です。直接お問い合わせください。

御祭神 菅原道真公
紹介

全国一万社ある天満宮の二十五霊社のひとつとして歴史が古く、由緒ある天神さま。春の頃には、きれいない梅が咲き、合格祈願、学業成就を願う人々で賑わい七五三の頃には、ご家族連れで境内は一段とにぎわいます。

綱敷天満宮は、学問の神様、天満大神菅原道真公を祀り、地元では須磨の天神さまと呼ばれ、学業成就に御利益があります。

その昔、菅原道真公が九州に渡るおり、須磨の浦に立ち寄り、須磨の漁師が造った大綱の円座で休憩したと言われ、それにちなみ、菅原道真公の死後この地に創建されました。

 

 

 

柿本神社 (兵庫県明石市)
住所・ 電話

〒673-0877
明石市人丸町1-26
TEL078-911-3930 FAX078-911-3954

HP  http://www.kakinomoto-paohall.or.jp/
アクセス

●JR「明石駅」より、タクシーで5分
●山陽電鉄「人丸前駅」より徒歩5分

お守り

合格御守 500円 合格たこ御守 1,000円 合格絵馬 500円 学業成就御守 500円

ランドセル御守 500円 学業成就鉛筆(2本) 200円

祈祷

合格祈願 初穂料(祈願料) 5,000円

学業成就祈願 初穂料(祈願料) 5,000円

勧学祈願祭 初穂料(祈願料) 5,000円

御祭神 柿本人麿公
紹介

元和六年(1620年)当時、明石城主であった小笠原忠政公が人麿公を歌聖として大変崇敬され、縁深いこの地にお祀り致しました。

 主なご神徳は、学問・安産・火災除、更には妻に捧げた歌もあることから、非常に愛妻家であったことがうかがえる為、夫婦和合の神としてもお祀り致しております。御命日とされる旧暦3月18日(現在では4月の第2日曜日)には、本神輿に子供会の神輿も加わり、計5基のお神輿が練り歩き、境内は多いに賑わいます。

 この並ならぬ才能をお持ちになられた御祭神の御神徳にあやかろうと、一年を通して受験を控えた小中高校生から就職試験や国家試験を控えた方まで多くの方が合格祈願にお越しになります。

 

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曽根天満宮 (兵庫県高砂市)
住所・ 電話

兵庫県高砂市曽根町2286-1

HP  http://www.kakinomoto-paohall.or.jp/index2.html
アクセス

山陽電車曽根駅より徒歩5分    

JR曽根駅より徒歩20分 タクシーで10分  

詳しくは http://www.tenmangu.net/access/kotu-2.htm

お守り

お守り・お札・祈願絵馬の他、合格鉛筆あり

祈祷

祈願料5000円

御祭神 菅原道真公
紹介

延喜元年(901)菅原道真公は無実の罪により九州大宰府へ左遷される。その途中伊保港に船を寄せて、曽根天満宮西方の日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈って山上の小松を植えられた。現在も幹が保存されている。その後、四男淳茂公(あつしげこう)が、家臣13人と共にこの地を訪れ、父君ゆかりの場所に社殿を建てお祀りしたのが創始とされる。

 

 

 

 奈良
安倍文殊院 (奈良県桜井市)
住所・ 電話

〒633-0054 奈良県桜井市安倍山654

TEL 0744-43-0002

HP  http://www.abemonjuin.or.jp/
アクセス

桜井駅より徒歩20分

詳しくは http://www.abemonjuin.or.jp/new/chizu.htm

お守り

祈祷札
玄関魔除け札
合格智恵守り など

祈祷

インターネット,メ−ル,FAX,郵便による御祈祷受付をします。
当山では受付日より毎日下記期間の御祈祷を厳修します。
1.金5,000円 (受付日より2週間祈祷)
1.金8,000円 (受付日より3ヶ月祈祷)
1.金10,000円(受付日より1ヵ年祈祷) 詳しくは直接お問い合わせください。

御祭神

阿倍内麻呂(安倍倉梯麻呂)

陰陽師 安倍清明公

紹介

大化の改新の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の氏寺として建立されたという。

創建当時の寺地は現在の文殊院の西南300メートルほどのところであり、鎌倉時代に現在地に移された。旧寺地(桜井市安倍木材団地1丁目)は「安倍寺跡」として国の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。発掘調査の結果、安倍寺は東(右)に金堂、西(左)に塔が建つ法隆寺式伽藍配置をもっていたことがわかり、出土した古瓦の様式年代からも創建が7世紀にさかのぼる寺院跡であると見られる。「東大寺要録」巻6には、東大寺の末寺の1つである「崇敬寺」が安倍倉梯麻呂の建立であることと、「崇敬寺」の別名が「安倍寺」であったことが記載されている。

当院では陰陽師・安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれ、2000年(平成12年)には安倍晴明堂が建立されている。

 

 

 

談山神社 (奈良県桜井市)
住所・ 電話

奈良県桜井市多武峰319

電話 0744-49-0001

HP  http://www.tanzan.or.jp/
アクセス

近鉄大阪線・JR桜井線にて桜井駅下車

詳しくはこちら http://www.tanzan.or.jp/koutuu.html

お守り

こちらよりお申込みいただけます  http://www.tanzan.or.jp/cgi-bin/web_cart/view.php

祈祷

こちらよりお申込みいただけます→ http://www.tanzan.or.jp/cgi-bin/sformmail/sformmail.php

御祭神 藤原鎌足公
紹介

舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、国の政治をほしいままにしていました。
この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しいあり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、 聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)にまみえることができ、 西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。
ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、
大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ、藤原の姓を賜りました。
藤原の姓はここに始まります。

鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、父の由縁深い多武峰に墓を移し、十三重塔を建立しました。
大宝元年(701)には神殿が創建され、御神像をお祭りして今日に至ります。

 

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 和歌山
成増神社(和歌山県日高郡)
住所・ 電話

和歌山県日高郡南部町山内1595−1

HP  http://narimasu.greenlife-web.com/
アクセス

阪和自動車道 南部ICより、和歌山方面へ7分 

詳しくはこちら http://narimasu.greenlife-web.com/n5.html

お守り

遠方の方用にお守り等の販売もあり

祈祷

直接お問い合わせください

御祭神 菅原道真公
紹介

昭和62年5月、和歌山県日高郡南部町の南部川河口河川敷付近で土木作業をしていた作業員が、土砂の中からドロまみれた木像を発見しました。最初はドロで汚れていてよくわかりませんでしたが、水できれいに洗ったところ人物を彫った木の彫刻だと分かりました。早速、京都の東寺に出かけ、毎月開かれている弘法市で鑑定してもらったところ、天神様で知られる菅原道真公の木像であることが判明しました。

 「お祀りした方が良いのでは・・・」との寺側の奨めもあって神社の建立を計画したところ、いざはじめてみると話を聞きつけた近所の人たちが何かと協力してくれ、立派な神社が完成しました。
「学成り財を増す」という言い伝えから「成増神社(なりますじんじゃ)」と命名しました。
どうして南部川河口から出てきたかについては「暴風雨で流れ着いた」や「昔、その付近に祀られてあった」など、いろいろな説が流れていますが、正確なことはわかっていません。

 

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